不安と恐怖を過度に感じてしまうと、様々な障害を引き起こします。これらの感情について紐解いていきましょう。

不安と恐怖の関係

道の先に見える暗雲

人は生まれた時から不安と恐怖と対峙して生きていくと言っても過言ではありません。 そして、その不安と恐怖を克服することで、成長するのです。その為、人の成長と不安や恐怖は切っても切れない事柄でもあります。不安と恐怖は日常の小さなことでも起こっている為、明確に分別されていない方も多いことと思います。

明日、大地震が来たらどうしよう、という不安。荒唐無稽ではありますが、ゾンビが襲ってきたらという恐怖。不安と恐怖の違いは物理的対象があるかないか、という点で違うという位置づけをされています。 前者は地震など漠然としている状態に対して抱く感情ですが、後者はゾンビという物理的に存在する対象に対して抱く感情です。とはいえ、ゾンビは実際には存在しませんが。また、医学的な見地からしても、不安と恐怖は違う回路を通って感じることが証明されています。

不安と恐怖の信号経路

不安は三角中隔核という脳の経路を通ることで発生する感情で、恐怖は前交連床核という経路を通って発生する感情です。また、不安は恐怖に変化することがありますが、恐怖が不安に変わるということはあまり聞きません。不安という漠然とした何かに対する恐怖がある時客観化されると恐怖に変わると言われます。

客観化という概念は非常に難しいことですが、例えば大地震が起きたらどうしようという不安を抱えている人が、より具体的にその現象について考えたとき、大地震という漠然とした何かが、家が倒壊して閉じ込められたらという家という物理的な対象にすり替わってしまう場合があります。このとき不安は恐怖に変わってしまうのです。
この恐怖が度を越した恐怖になった時、人は自分自身で対処できず、正常な心と身体を保つことができなくなり、それが精神障害となって表れてしまう場合もあります。
パニック障害や強迫性障害といった不安障害がそれに当たります。

免疫や克服

親子

不安には明確な対象がない未知のものに対して、恐怖には明確な対象があります。人は自由だからこそ不自由を求め、不自由から脱するために自由を求める矛盾した生き物です。自由があるからこそ人は不安というよく分からない未知のものを抱きます。

こうするべきだという道標や目的がはっきりとしていれば未知の出来事を感じる事はありません。約束された未来や出来事に自由はありませんが、この道しかない、こうするのが当たり前なのだという状況ならば不安など浮かびません。

そんな中から突然自由の身になっては、この先に待ち構えている未来には未知のものがごろごろと転がり、時に自分の足元を掬う出来事が待っているかもしれません。

良く分からない漠然としたもの、不安とは選択できる未来を示すものです。知らない事で自分や周りが傷つくかもしれない未来に、明るく前向きに生きるのはいきなり切り替えろといわれても困難でしょう。

未知の体験をこわいもの・不安として感じるよりも、逃げても続けてもいいから挑戦する、楽しむのだと考えられたら少しずつ方向性を変えれば、本人の意思次第でマイナスの考え方もプラスになれるでしょう。

対象のあるもの、恐怖は、過去の体験や想像した事、見聞きした出来事によって危険な目に合うかもしれない、痛い・辛い思いをするかもしれないという経験に基づいて人は恐れます。

自分が受けとめられるキャパシティは決まっているので、対象を恐れないように少しずつ訓練する事で克服していく事ができます。

お化けや非科学的な物など怖くないという人が、小さな蟻や蝶など昆虫を盛大に恐れたり、自然災害は突発的だからしょうがないと達観している人が、お化けが怖いと恐れたり、恐怖の対象は人それぞれです。

恐怖するあまりにこの先もよくはわからないけど何らかの怖い事が起きるかもしれないと不安に関連付けてしまいます。

未知の物を恐れる事と、経験のある事を恐れることは似ているようで異なります。この先にある未知の世界を安全な場所から覗いても、分かるのは表面的なことだけです。

分からないから怖いと思うのであれば、分からない事を調べて納得のいくまで恐怖の根源を潰していきましょう。自分が恐れていたことが案外何でも無い出来事だったというのは、知識を付ければ取るに足らない出来事だったというのはこの先きっと何度でもあることでしょう。

これらの感情がすでに自分ではどうにもならない域に達していて、誰かの力を借りなければいけない状況ならば、病院に通うのもいいですし、薬を購入して自分の力で治せるところまで心身の状況を改善させて行くのも良いでしょう。恐れも免疫も克服も全ては自分の意思が根本にあります。

人は先にも伝えたように小さな不安や恐怖を感じつつ生きていて、更にそれを自身で克服する力を持っています。 そしてそれを克服した時に何かしら人として成長をしているということが多く、それを重ねて思考も精神も強くもなります。

不安や恐怖は、自分自身から生まれる感情です。その為、その感情を大げさにとらえるのも自分自身ということになります。 その感情を大げさにとらえたところで、その感情を乗り越えなければならない点は変わりません。 大げさにとらえすぎてがんじがらめになって、押しつぶされてしまうような状況を作らない為にも、
常に不安や恐怖に対して鈍感ぎみになるということも、無理せず生きていく方法のひとつと言えます。

コントロールできない症状

思案

不安・恐怖が増長し生活にまで支障をきたすレベルになってしまうと、自分の意思でコントロールする事は困難でしょう。 これらの障害を大まかに挙げると不安障害といい、不安障害という大きな枠組みの中に、パニック障害、社会不安障害、全般性不安障害、恐怖症と細かくジャンル分けされます。

障害というと治療が困難な重篤なイメージが湧きますが、精神医学の世界は海外に比べて遅れ気味で、うつ病ですら本人のやる気の無さ、甘え等と理解されずにいます。最近になり不安障害、と付いていた名称も不安症と改められているようです。

パニック障害(パニック症)は個室などの閉鎖された空間、職場など、簡単には逃げ出せない場所で起こる事が多いのですが、リラックスしていても発作が起こる事もあります。

突然起こる発作は重症化すると家庭、仕事の活動が制限されてしまうため、自宅から外出する事さえできなくなります。主な症状は眩暈、動悸、胸痛、呼吸困難、発汗、意識喪失などです。

社会不安障害(社交不安症・社交恐怖)は、他人から注目を浴びてしまう可能性のある状況で、激しい羞恥心、恐怖により、何も言えなくなったり、激しい動悸や発汗、声や身体が震える事があります。大勢の前で発表したり、食事会や年長者と会話なも含まれます。

全般性不安障害(全般不安症)は、過度な不安により業務・家事・勉強が手に付かなくなり睡眠障害を起こすなど、慢性化した症状が数ヶ月以上も続き、日常生活に支障を来たしてしまいます。恐怖症は、特定の場所、対象、現象に対して過度な恐怖を感じる事を示しますが、その種類は数多く存在します。

高所・閉所・嘔吐・先端・対人・男性・女性・動物・集合体・ピエロ・文字・人形・子供・不潔など、恐怖症はこれ以上に沢山種類があり、恐怖症を持たない人には理解し難い物まで細かくあります。

嫌い、苦手ではなく、涙や身体の震えが止まらない、嘔吐感や眩暈、発狂したり気絶するなどが生じたり日常生活に支障をきたし、生活が送れないほど困難な場合に用いられます。当人にとっては死活問題なケースもあるので、安易に恐怖症だと自己判断しないよう気をつけましょう。

TOPに戻る